どうも!篤寿苑のSです☆
今日は美川町の藤塚神社春季大祭「おかえり祭り」についてお話ししたいと思います。
美川町とは、明治初期に「石川郡」であった美川町に県庁が置かれていたことから、郡名をとり「石川県」の県名がつけられた、いわば『石川県のルーツの町』とも言える町でした。
その美川町において「おかえり祭り」とは、藤塚神社の例大祭でありその伝統は今でも受け継がれています。
おかえり祭りの起源は700年から800年程前と伝えられ、藤塚村の表鬼門が現在の高浜御旅所、裏鬼門が藤塚神社であるため、鬼門を聖地とし厄除けのため神輿と13台の台車が全町を巡行する行事です。
初日は裏鬼門の藤塚神社を出発して表鬼門の高浜御旅所に到着し、そのまま一泊して2日目の夜に再び台車を従え、おかえり節の町内を通り翌朝未明に藤塚神社に戻ってくるのです。その1日目は「神幸祭」、2日目を「還幸祭」と呼びます。
神輿は天保7年(1836)に寄進されたものであり、菊の御紋章入りの上絹日覆と守護の錫杖は当時担ぎ手より「恐れ多い」とされ、担ぎ手は、紋付袴に白足袋を履き、白たすきの正装で担いだとされ、今もなお受け継がれています。
神輿を警護する立場の錫持ちと子供が扮する右大臣と左大臣および猿子の計4名の随身が神輿の後に従い、さらに悪魔祓いの小獅子が神輿の巡行前に家々を回ります。
台車は金箔や漆、金具を施しておりその豪華絢爛さは北前船主の経済力と当時の港町の繁栄を物語っています。
実施日は5月の第3土曜日早朝から翌日曜日の深夜までですが現在担ぎ手や台車の引手不足が聞かれています。興味のある方は是非参加してみてください☆